Metamorphose

辛くてしんどくてひとりじゃ無理だなって思う時ほど、誰にも相手にしてもらえないような。ずっとこういう状況な自分が悪いってわかっているけどシンプルに悲しい。

今年に入ってから何度寝る前に布団の中で死ぬことを考えたんだろう。気づいたら具体的な方法、現実的な方法にあれこれ頭を巡らせて。無意識のうちに考えてる。

京都に行ったら人生変わるかもっていうのが2022年までの希望だったから。どうしたもんか。そしたら次はどこに何に希望を持ったらいいんだろう。

230518

京都に来てたぶん1番辛いのは、飲み屋に赴く以外に人と話せないことだった。前向きに考えれば居心地のいい飲み屋があることだけでも、随分救われる話だけど。会社の人とは短期間の割に飲みに連れてってもらったり、ごはん行ったりしたけど、プライベートの友達と会ってお互いの話をゆっくりするという時間が私の人生からなくなったこと。日常に話し相手がチンチラしかいないこと。学生時代の友達や東京にいた時月1くらいでは会ってた友達も、距離があいたらそのまま疎遠になった。たまに耐えかねて、電話したりするけど、なんか向こうにとっては必要ないみたいだし、時間作ってもらえないか、すぐ切られるか。なんなら私を世界で1番的確に理解してくれていた人からは、もう今年度いっぱいは連絡しないでくれとまで言われた。単純にタイミングの悪さもあるし、だんだん話が合わなくなっていくのは仕方ないけど。なんだか。話せる人がいないのは辛い。別に何でもいいから気軽に話せる人が。

 

調子が悪いなぁ。ずっと調子が悪い。28年弱生きてきて、普通以上で生きれた時間の方が少ないけど、前の彼氏と別れたあたりからほんとに調子が悪いな。(何なら付き合っていた時もだいぶ苦しかったけど。周りからどれだけ非難されたことか)私と別れた元彼氏は全国で絵を描き続け、インスタフォロワー1000人くらい増えてた。立派だ。私がいなくなって仕事に集中できるようになったんだろな〜とか。

ずっと心臓のあたりが痛くて、会社の人は社長以外誰も私を責めなかったし、同じタイミングで辞めた人も残った人も、みんな社長がおかしいって意見で一致だった。交通事故みたいなもんだから気にするなって、言われた。女性スタッフからは京都まで来てひとり暮らしでこんな目に遭ってって同情された。

でもそれとは別軸でこのずっとうまくいかない人生そのものに、私自身は1番滅入っていて、ストレス、何のために生きてるのか、何やってんだろかなってボーッとしてしまうような。ハマってない。何もかも。ハマっていかない、何もかも。

うまくいっていないのは自分だけじゃない。コロナが変えて行った世界はなんだかとても生きづらく、時代が弱っているように思う。無根拠でも元気になれるとか気分がいい状態とか、未来に希望が持てる状態って、結構重要なんだと思う。見えない何かにも脚を引っ張られている気がする。みんな幸せになりたいのは当たり前だ。何か何かが変な感じがずっとしてる。友達の話聞いていても、自分の身に起こったことと感じたことを客観的に考えてみても。苦しいな、しんどいな。なんとかならんもんかな。必要なことはやるしかないのわかってるけど、ずっとこの感じで続くのかな。そこが1番なんとかならんかな。ひとつひとつやるしかないけどな。

想起ではなく想像

18歳の時、気が狂った。1回目の大学受験生の秋から春。人生で初めて人間として壊れた。文字が読めなくなったり、シャーペンが持てなくなったりした。ずっと耳なりみたいな不気味な音楽が耳の奥で鳴っていた。時間が経つのが怖くて怖くて、ずっと腕時計から目が離せなかった。眼鏡無くしたり、自転車の鍵無くしたりだけで大騒ぎした。味覚障害で食べ物に味がしづらくなった。冬のある週末、久しぶりに父が家に帰ってきて母と3人で鍋だった。味がしなくて、延々と自分のとんすいに塩振ってたら怒鳴られた。ごはんがちゃんと食べられなくなった。時間がないよ時間がないよって追い込まれて、それが時間のないお化けになって自分を苦しめた。時間がない、ごはん食べてる時間もない。何かよくわからないけど、朝寝坊して慌ててトースト食べようとしたら母に思い切り殴られた記憶とか。夕ご飯どこにあるかわかんなくて、あ、今日夕飯ないんだって思ったら目の前で焼いた魚捨てらてた記憶とか。何を勉強していても不正解に思えて、他人が何を勉強してるか気になって、そしたらみんな学校のテキストなんかやってなくて、塾や予備校に通ってた。気づいた頃にはもう遅くて、入れる塾も予備校もなかった。眠れなくなった。寝てたらいけないって思うようになった。壁中に貼られた化学の元素記号とか。生物の植物の名称とか。数学の公式とか。

県下1番の進学校の地を張っていた。頑張って平均くらいをキープしてた成績は周りが受験モードに入ってから右肩下がりで急降下、一気に差がついたのは高2の3月に市内で引越しとかしてたから。まだうつ病の病み上がりの母と2人で、もともと4人住んでた荷物をまとめる引越し。家で勉強してると引越しの準備しろって怒られる受験生。

今でも思う、人生で1番辛かったのは17歳の2月と3月。厳密に言うと2013年2月25日〜2013年3月25日の1ヶ月間。大人になって辛いことがあっても、あの時の辛さと比べたら何でもない。本当に心身共によく戦ったと思う。もう二度とあんな辛い状況を乗り越えられないと思う。18歳になって、気が狂った時も辛かったけど、正気があって戦っている時の方が人間、辛い。

 

話は戻るけど、18の壊れた私に、世間は冷たかったこと。ほぼ学校中の先生が心配していたらしい。夏まではゴリゴリ部活してて、明るくて活発だった私は違う意味で有名になってしまった。「君は異常だ」と言われたり、度重なる模試のマークミスで担任は激怒。何度も何度も正論で怒られた。母親に言われた言葉は「人間失格」参考書を買い漁って、また母に殴られた。長野駅前の平安堂でよく途方に暮れてた。

なんでこんな思いをしてまで大学に行かなきならんのか?その意味が意義がわからなくなって。志望校は高く持たないと、人間やっぱ頑張って8割みたいな話があるから、とか、第一志望変えない人間が受験に勝つ、とか。長い道のりの精神論。でもずっとわかんなかった。そこまでして大学に行く意味が。

結論から言うと大学を卒業してもその意味がわからなかった。一浪して、現実的な目標を立てて希望を持って。高3でできなかったことを順番にきちんとやり直して。高3の3月はもう母親が怖くて怖くて仕方なかった。浪人なんかしたら母親に精神的に追い詰められて、殺されるって思って父に手紙を書いたこと。相手にしてもらえなかったこと。精神的に追い詰められている人間を、追い詰める人間は、怖い。うつ病もノイローゼも病気。気力とか精神力とか違うくて、やっぱりそこの当事者にしか、わからない感覚があるような。あれは病気だと。一度たりと病院に行ったことも行かせてももらえなかったけど、まじであれは病気。

一度そこまで来てしまうと、人間がどうやって崩れていくか。よく知ってた。今回の急な退職に関して、何が悪かったんだろうって、いろいろ考えて眠れなかった。でも、自分の中で、レゴブロックがパチンってハマるみたいな音がして、それは逃げろのサインなんだった。絶対に確実に。どんなに情けなくても、社会性がゼロでも、できる限りの方法で。

 

いろいろ言われて来た。いろんな人にいろいろ言われるのは、精神的に弱いからだった。後ろ向きで不幸な感じだったから。でも私の周りって強い大人が多かった。厳しい大人が多かった。許されなかった。優秀じゃないと、きちんとしてないと。

甘えてる、そこまで堕ちたか、人間失格、君は異常、無駄な涙、見せられる側の立場にもなれ。

10年後、スラスラと嘘が言える私。10年前にできなかったこと、本当の意味で潰れる前に、潰れたフリして逃げられたこと。

なんだろかな、これを成長と言っていいものか。あるいは同じことを繰り返しているのか。そんなネガティブな言い方じゃなくて、自分の持ってるものを認めたら?って

元彼氏が最後に残していった言葉は「あなたは自分が思ってるよりずっと素敵な人だから」だ。

なんか、何が悪いのか。ポジティブになれと言われてもそう思わないんじゃ仕方なくて。私は私。無理なものは無理。一体どうしたら、もうちょっと普通に生きれてる人っぽく、生きれるものか。

 

 

眠れない夜は

相手がどう考えてるとかどう感じているとか、人はそんなに多角的に考えないものなんだろうか?自分の放つ言葉や態度が、相手にどう伝わりどう感じられているか。もしくは自分の発する言葉そのものが、自分の内側の何を表しているか、とか。不安とストレス、何かをどうにかしなきゃいけない状況、ひとりで抱えるしかない状況。孤独。自殺する人のほとんどって孤独かお金に追い込まれた人だと思う。

14歳の時、行き詰まってた。未来に希望が見えなくて。先が真っ暗だった。何を根拠に明日を生きれるかわからなかった。学校にも家にも居場所が無かった。それと同じような気持ちになる。今でも。きちんと向き合っても、向き合わなくても、なんでこんな想いをしなくちゃならないんだろう、って気持ちに何度だって。自分の人生に期待をしすぎたのか?理想と現実のギャップ。でもそんなに高い買い物をしようとしていたんだろうか?心身共に健康的に生きていくことがこんなに難しいのか。ふと気を抜くと希死念慮の沼。もう終わりにした方がいいのか?本気で。友達とかも段々離れてくし、自分なりに、自分を信じて生きていたけど。

死にたい死にたい思いながら生きていく人生は疲れる。でもずっとずっと長いトンネルに入る。光が入らない人生なんて。素敵だなと思う人たちはいて、いいなと思う人たちに会えると少しだけ元気になる。人といればそこまで深く考えなくて済むし、そこまで深く絶望しない。でもひとりでいる時間が長いと否応なく考える。どうしたらいいのか、どうしたらよかったのか、どうしていくべきなのか。

悶々と不安とストレスと向き合うことにも疲れて、いや何より疲れてるのは自分自身の人生そのもので、全く好転もしてかない人生そのもので、耐えることが多い、辛いことが多い、元気になれる瞬間が、段々と減っていくようで。

なんとか環境をまた変えないと。何もできてない、やりたいこともなんもかんも。健康的に生きられている周りが羨ましい。話を聞いてくれる人が日常にいる人が羨ましい。なんでこんな人生なんだろう。情けないし、悲しい。ストレスに勝てない。ポジティブになれない。

ずっと失敗だらけの人生だった。無力さや残念さを感じる。段々いろんな人に相手にされなくなっていく。愛されたかったし、必要とされたかった。仕事はどこに行ってもできた。仕事ができないって悩んだことは一度もない。でも幸せになれなかった。生きてることが辛い。生きていることがわからない。生きてることが壊れている。

眠れない夜は死ぬことばかり考える。でも実行の難しさと向き合うとまた疲れる。安楽死とかやっぱうまいことなんとかして欲しい。

 

丑三つ時の話

死生観とか。生きることや死ぬことに関して。またボーっとすると希死念慮。ボーッとすると死ぬことばかり考える。行き詰まっている。自分の人生をずーっと見ている自分にとっては、もういい加減に、って気持ちが強い。環境を変えるとか、仕事を変えるとか何たらやってもやっても行き詰まって。世の中はあなたが傷つかないようにデザインされてないっていうけど、こんなに生きづらいもんなんだろうか。ストレス。結局ストレスには勝てない。正直者がバカを見る。確実に。

最近昔のことをよく考えてる。14歳の時に29歳の自分に宛てて手紙を書いた。なんとなく内容も覚えているけど、苦しみの渦中の中にいた自分が未来に託した内容は何一つ叶えられていないのが残念で仕方なかった。一生懸命生きて来たのに、何ひとつ叶えられなかった。

10代の頃に3回自殺未遂してる。今からどれもそれじゃ死ねないよってくらいの可愛いもんだったけど、今日で死のうと覚悟を決めて死のうとしたのが2回、ふらふらしていて生きることと死ぬことの境目がわからなくなったのが1回。(2回目に関しては記憶がないので、実質2回なのかも。どうでもいいけど。)14歳と15歳と17歳。あれから10年以上経って、今でだって思うのが、14歳で終わりにできてたらどれだけよかっただろうかってこと。それ以上先の辛い思いなんか何一つしなくてよかったとしたら。いいことなんて大してなかったし、ほんともういい加減にって感じだ。なんでこんな想いしなくちゃならないんだろう、そう思うことばかり。

誰かに諭されたり怒られたりするのもウンザリだし、嘘をついてしか生きられないのもウンザリだ。10代の3回のしくじりで、気づいたことは生きるのも死ぬのも強くなくちゃできないってことだった。覚悟が決めきれなくて自殺できなかった。怖くて情けなくて絶望していた。ずっと苦しかった。解決しなかった。寝ている母親の首を後ろから絞めて殺したいって考えた夜だって何度あったかわからない。

あの時死ななくてよかった、そう思えない今が悲しくなる。毎日起きて仕事に行く朝と帰り道に、毎日考える。こんな命を続けていて一体何になる?生きていることにずっと疲れている。生きていることがずっと壊れている。

ストレス。そんなつまらないことで、そんなくだらないことで。そんな狭い場所で、うまくいかないって頭抱えてるのなんてくだらなくて、勇気をもって一歩踏み出せば?次の地獄。なにこれ。

もういい、もういいからって気持ちでいっぱい。何もかも降りたい。でも降りた先でもひとりで生きることが辛い。ひとりで解決できるのにも限度がある。でも自分でしか解決しようがない。

もういいだろうって思う。もういいだろう。ただただ楽になりたい。精神的にどんどん追い込まれる。こんな状況がずっと続くなら、形は違えどこんな苦しみがずっと続くなら、もう生きているべきじゃないんだろう。もう私みたいなのが生きてていい時代でもないのかもしれない。最初から居心地のいい場所なんかなかったのかもしれない。自分が息をしやすい場所なんかなかったのかもしれない。それをいつまでもいつまでも探す旅は疲弊する。東京に帰りたいって再三思うけど、東京に帰ったとて居場所なんかない。

ストレス。ストレスでいろんなことがおかしくなる。もう何も要らないから早く終わりにしたい。でも死ぬのもまたきっと技術だ。20代になって自傷行為はいっぱいしたけど死のうとするのは辞めた。くだらなくて、だってどうせできないんだからって。それが10代の3回で身に染みてわかった教訓だ。

 

でも、そうわかっていてもどこか。とにかくもういいだろう。元気なフリもなんもかも。何もかも解放されて楽になるには、どうしたらいいんだろうか。

 

ナナカマド

忙しいという状態が嫌いだ。でも人生はいつも忙しい。27年と10ヶ月過ぎたけどずっと忙しい。すぐ引越して新しい場所になるし。言葉と文化を覚えて、新しい人に出会って。忙しい。ずっと忙しい。読書と音楽と、友達とあれこれ話せる時間とか思い出になるような時間とか、生活とか日常とか。そういった人生の豊かさが欲しい。久しぶりのまともな休みで一旦人間に戻った気がしたけど、冷静になるとここ1ヶ月くらいのストレスと麻痺は、かなり自分の人生に良くないことだなって感じた。本来の自分が何か、反応が多すぎる毎日が続くと自分を見失うし、自分を見失うと社会性が全くない人間になって壊れる。人は結構簡単に壊れる。自分がどう言う状況になると壊れるのかも知っている。でもそれが自分の力だけじゃ阻止できない時があって、結果壊れるしかなくなる。

 

これが自分を苦しくさせているのはわかっているけど、大概の人間の興味がない。興味がないか好きかしかなくて、興味がない人間に興味があるフリをしなくちゃいけないのが、私にとってはずっと苦行で、でも社会性を持つにはそれをするしかなくて、とにかく頭を使ってプロファイリングをしていく。職場の人なんて一縷も興味が持てない。それでも、わからないもの、わからないことに対するストレスってすごい訳で、そのストレスを軽減する為に人を理解する努力をしている。人がすきって人はすごい。根本的に人がすきじゃない。人間より動物の方がずっとすき。でも人間と生きるなら人間とうまくやらなくちゃいけない。とにかくよく見てるし、その人の使う言葉とか反応とか、サンプルをたくさんとって自分の中で統合させていく。どんな人だって癖や傾向があるし、ずっと見てるとだんだん輪郭がはっきりしてくる。そうやって興味もない人のことをずっと調べて、その人とうまくやれる自分を今度は生成していく。仕事っていうのはそこまで考えてやってる。個々のやる気とか気持ちだって大事なリソースである。パフォーマンス高い状態で働けるように、自分がどこに立ち、どういった役割で機能できるか考えて行動してる。だからいつの日か言ってた「仕事なんて全部嘘」って言うのはそういうことなんだ。心にもないことを平気で言えるし、思ってもないことをまるで本気かのように言える。それでも誰も、それが本心じゃないって気づいてくれないから、受け取る側の印象としては私は「それ」になっていって、今度は「それ」に答えるべくの「私」になっていく。結局すべてうまくまわることとかが正になってくると、自分のことがどんどん後回しになって結果壊れるまで追い詰められた時にはじめて自分になる。なんだか切ない人生だ。

 

ずっとずっと誰かにわかって欲しいって言うことを思って来て、多分10歳くらいからずっと解決してなくて、学生時代の友達とかもう10年、20年の付き合いになる友達とかもいるけど、ほんとにわかってくれないなぁ...って思うことの方が多いんである。いろんな人にいろんな角度でその話をして来たけど、意見は二つに分かれて、「全部わかる人なんていないよ」か「いつか君をわかってくれる人に出逢える」か二つにひとつ。もう十何年と同じ悩みと向き合い続けた身としては、いつか解決してくれないと今日まで生きてきた意味がない、くらいに思うんだけど、私からはわかるもの・人っていうのは結構いて、ただ適切に繋がらないんだと思う。結構積極的だと思う。でも相手にはそう思ってもらえないっていうのは、そういうことなんだと思う。一方通行じゃ、恋愛も友情も成り立たないものだから。最近自分の話が難しいな、とも自分で思う。でも複雑なことを言っているようで同じことでしか悩んでないし、同じことしか言ってない。それに誰も気づいてくれないんだ。誰も理解してくれない。

 

京都に来て、わかったことは結構あって、自分が何者なのかどこの人間だったのかも、わかるようになった気がした。京都の街も京都の人もすきだし東京よりもずっといい。だけど東京ではありえないことが京都ではおきるし、でも忘れちゃならんけど京都であり得ないことが東京では起こる。どっちもどっちだけど、どっちが人間かというとよっぽど京都の人の方が人間だと思う。(何の話?)とにかく自分を見失ったら負けと言う話。でもこの状況だと今後もまた見失なっていくように思う。ずっと自分に嘘をつき、場に合った人間を演じ続ける。仕事ってそういうもの。でも帰ってきて来られる場所も欲しい。自分のことを知っている人が自分以外に欲しい。その為にやらなくちゃいけないことがあって、それにリソースを割けなくて、やっぱり嘘100%生きる日常だもの。何かしらで手を打たないと。ただただ時間は過ぎて行く。一度しかない人生なのにな。こんなはずじゃなかった。こんな思いしたくなかった。こんな生き方したくなかった。こんな人間になりたくなかった。どうしたらいいだろうか。ほんとに。どうしていったらいいだろう。

会社から意識を離したい。延々と来るトラブルや事故、誰かが怒られる誰かが責められる、空気が悪いのがずっと。土日も定時も関係なく延々と来る業務連絡。とにかく正論押し付けられる社風。誰かが追い詰められて壊れるのに壊れても問いただされる社風。そりゃみんな続かないんだろうなだからめちゃくちゃ。思い切って会社の流れを変えるか辞めるかの2択しかない。仕事できる人いなさすぎて前者として期待され3ヶ月で昇格してもはやマネージャー候補...。

 

ある種想像もしてなかった展開だけど人生ハードなのはずっとなんだ。追い詰められて精神崩壊して文字読めなくなったりして。なんなんだこれ。毎日会社と家の往復で、どこに住んでんのかもよくわからない。そして誰に言っていいのかわからないけど異民族ストレスがすぎる。標準語で話せることがこんなに尊く感じる日が来るとは思わなかった。京都の人はとっても好きなんだけど、やっぱ別種な人間な気がしてる。一旦ピークは過ぎたけど、やっぱりなにかずれている。長野にいた時のストレスと似てる。今まで東京近辺だったんだって思い知らされた。変えてみないとわからないこともある。

 

また世の中の流れを全く追えなくなった。絵だって京都に来てからまともに描けてないし。何しにきたんだろうまじで。なんでこんなことになってんだろう。ひとりの時間すらあんまり作れない。プライベートの自分に帰れる時間すらも失い。あの半年間の転職活動なんだったんだろう。

 

最近ずっと見るのは大学受験の時の4月か9月の夢。あとセンターまで何日しかないのに勉強が全然間に合ってないって夢。いつもこれ。私にとっての1番大きな歪みになったのは、やっぱりたぶん17歳と18歳の時のあの記憶。生きていることはずっとずっと辛い。

 

外の世界と自分が全然繋がらなくなってきて、友達ともまともに会話にならないし、映像作品を見る機会もないしラジオだけ関東の番組をひたすら聴いてなんとか。

もうすぐ28歳になってしまうのにな。悔しい悲しい情けない。やりたいことも夢も希望もなんも形になっちゃいない。なんで毎度こんなろくでもない人生しか選べなかったのか。頑張ったとていいことなんてないのに。