すずらん

辛くて苦しくて仕方ない時は、惨めでかっこ悪くて無様でも、「助けてください」って言う辛い、悲しい、助けて欲しいって。生きていること。って言ったってここぞという時の人間柄というのか、忙しいとかどうでもいいとか自分の人生に関与しないとか、相手にとってどれくらい自分がなんでもない存在だったかを突きつけられるばかりで、信じていた人?それは幻想、信頼はガラガラ崩れるばかりだし、些細な一言に言葉を失うくらい幻滅したり、ねぇ馬鹿にしてるの?人間嫌いになるばかり、それでいてもヘラヘラ笑えるようになって、「しょうがない」とか「大丈夫」とか大人の使う言葉、使うようになって、私は随分嘘くさくなったんだと思う。生きていることそのものが嘘くさい。全部嘘の癖が抜けない。いったい今日の自分の何パーセントが、本当の私だったんだろう。ってふと思う。けどきっとどれもが、ただ正解を演じる話で、そんなことしてまで生きている必要ってあるんだろかって毎日考える。

 

ちゃんと向き合うほどに信じられる人ってどんどん減ってしまって、そういった局面に立たせる自分が悪いんだろうけど、バランスよく人間関係が成り立っていないことに気がつくと、急に冷めてしまって、むしろ壊したくなって、存在から忘れ去ろうとしてみる。こっちから連絡しなきゃ連絡なんてこないんだから。なんだか無理に頑張っていても仕方ないんだ何事も。

 

誰かがかけてくれた言葉や行動で本当に嬉しかったことも、ちゃんと見てくれてる人も、失いたくないがあまりに遠く感じたりもして、結局わがまま言い出したらみんな離れていくわけで、条件付きの世界はずっとずっと条件つきなんだ。言葉も態度もうまくチューニングして、うまいこと。バレてなかったら上手に生きれてる賞だろか。

 

生きていることにはずっと疲れていて、生きることに対してずっと壊れていて、痛み苦しみを感じない為には無関心になるしかなくて、興味がないって思ったらいろんなことに興味が失せてきて、何も感じなくなると何かを作り出すことに集中できる。これの繰り返しだ。

 

こんなことしてまで生きてる価値あるの?