230518

京都に来てたぶん1番辛いのは、飲み屋に赴く以外に人と話せないことだった。前向きに考えれば居心地のいい飲み屋があることだけでも、随分救われる話だけど。会社の人とは短期間の割に飲みに連れてってもらったり、ごはん行ったりしたけど、プライベートの友達と会ってお互いの話をゆっくりするという時間が私の人生からなくなったこと。日常に話し相手がチンチラしかいないこと。学生時代の友達や東京にいた時月1くらいでは会ってた友達も、距離があいたらそのまま疎遠になった。たまに耐えかねて、電話したりするけど、なんか向こうにとっては必要ないみたいだし、時間作ってもらえないか、すぐ切られるか。なんなら私を世界で1番的確に理解してくれていた人からは、もう今年度いっぱいは連絡しないでくれとまで言われた。単純にタイミングの悪さもあるし、だんだん話が合わなくなっていくのは仕方ないけど。なんだか。話せる人がいないのは辛い。別に何でもいいから気軽に話せる人が。

 

調子が悪いなぁ。ずっと調子が悪い。28年弱生きてきて、普通以上で生きれた時間の方が少ないけど、前の彼氏と別れたあたりからほんとに調子が悪いな。(何なら付き合っていた時もだいぶ苦しかったけど。周りからどれだけ非難されたことか)私と別れた元彼氏は全国で絵を描き続け、インスタフォロワー1000人くらい増えてた。立派だ。私がいなくなって仕事に集中できるようになったんだろな〜とか。

ずっと心臓のあたりが痛くて、会社の人は社長以外誰も私を責めなかったし、同じタイミングで辞めた人も残った人も、みんな社長がおかしいって意見で一致だった。交通事故みたいなもんだから気にするなって、言われた。女性スタッフからは京都まで来てひとり暮らしでこんな目に遭ってって同情された。

でもそれとは別軸でこのずっとうまくいかない人生そのものに、私自身は1番滅入っていて、ストレス、何のために生きてるのか、何やってんだろかなってボーッとしてしまうような。ハマってない。何もかも。ハマっていかない、何もかも。

うまくいっていないのは自分だけじゃない。コロナが変えて行った世界はなんだかとても生きづらく、時代が弱っているように思う。無根拠でも元気になれるとか気分がいい状態とか、未来に希望が持てる状態って、結構重要なんだと思う。見えない何かにも脚を引っ張られている気がする。みんな幸せになりたいのは当たり前だ。何か何かが変な感じがずっとしてる。友達の話聞いていても、自分の身に起こったことと感じたことを客観的に考えてみても。苦しいな、しんどいな。なんとかならんもんかな。必要なことはやるしかないのわかってるけど、ずっとこの感じで続くのかな。そこが1番なんとかならんかな。ひとつひとつやるしかないけどな。