丑三つ時の話

死生観とか。生きることや死ぬことに関して。またボーっとすると希死念慮。ボーッとすると死ぬことばかり考える。行き詰まっている。自分の人生をずーっと見ている自分にとっては、もういい加減に、って気持ちが強い。環境を変えるとか、仕事を変えるとか何たらやってもやっても行き詰まって。世の中はあなたが傷つかないようにデザインされてないっていうけど、こんなに生きづらいもんなんだろうか。ストレス。結局ストレスには勝てない。正直者がバカを見る。確実に。

最近昔のことをよく考えてる。14歳の時に29歳の自分に宛てて手紙を書いた。なんとなく内容も覚えているけど、苦しみの渦中の中にいた自分が未来に託した内容は何一つ叶えられていないのが残念で仕方なかった。一生懸命生きて来たのに、何ひとつ叶えられなかった。

10代の頃に3回自殺未遂してる。今からどれもそれじゃ死ねないよってくらいの可愛いもんだったけど、今日で死のうと覚悟を決めて死のうとしたのが2回、ふらふらしていて生きることと死ぬことの境目がわからなくなったのが1回。(2回目に関しては記憶がないので、実質2回なのかも。どうでもいいけど。)14歳と15歳と17歳。あれから10年以上経って、今でだって思うのが、14歳で終わりにできてたらどれだけよかっただろうかってこと。それ以上先の辛い思いなんか何一つしなくてよかったとしたら。いいことなんて大してなかったし、ほんともういい加減にって感じだ。なんでこんな想いしなくちゃならないんだろう、そう思うことばかり。

誰かに諭されたり怒られたりするのもウンザリだし、嘘をついてしか生きられないのもウンザリだ。10代の3回のしくじりで、気づいたことは生きるのも死ぬのも強くなくちゃできないってことだった。覚悟が決めきれなくて自殺できなかった。怖くて情けなくて絶望していた。ずっと苦しかった。解決しなかった。寝ている母親の首を後ろから絞めて殺したいって考えた夜だって何度あったかわからない。

あの時死ななくてよかった、そう思えない今が悲しくなる。毎日起きて仕事に行く朝と帰り道に、毎日考える。こんな命を続けていて一体何になる?生きていることにずっと疲れている。生きていることがずっと壊れている。

ストレス。そんなつまらないことで、そんなくだらないことで。そんな狭い場所で、うまくいかないって頭抱えてるのなんてくだらなくて、勇気をもって一歩踏み出せば?次の地獄。なにこれ。

もういい、もういいからって気持ちでいっぱい。何もかも降りたい。でも降りた先でもひとりで生きることが辛い。ひとりで解決できるのにも限度がある。でも自分でしか解決しようがない。

もういいだろうって思う。もういいだろう。ただただ楽になりたい。精神的にどんどん追い込まれる。こんな状況がずっと続くなら、形は違えどこんな苦しみがずっと続くなら、もう生きているべきじゃないんだろう。もう私みたいなのが生きてていい時代でもないのかもしれない。最初から居心地のいい場所なんかなかったのかもしれない。自分が息をしやすい場所なんかなかったのかもしれない。それをいつまでもいつまでも探す旅は疲弊する。東京に帰りたいって再三思うけど、東京に帰ったとて居場所なんかない。

ストレス。ストレスでいろんなことがおかしくなる。もう何も要らないから早く終わりにしたい。でも死ぬのもまたきっと技術だ。20代になって自傷行為はいっぱいしたけど死のうとするのは辞めた。くだらなくて、だってどうせできないんだからって。それが10代の3回で身に染みてわかった教訓だ。

 

でも、そうわかっていてもどこか。とにかくもういいだろう。元気なフリもなんもかも。何もかも解放されて楽になるには、どうしたらいいんだろうか。