パンドラの匣

 

 

10代の頃の心の傷っていうのは、いつになったら消えるんだろう。普段は忘れている、恨みつらみは小さく小さく折りたたんで、何十階層も下の深い深いところに名前をつけて保存、普段は顔を出さずになんとなく調子が良ければ、いつか消えてなくなるんじゃないかって思ってきた。大人になってからだって、耐えがたいことの連続だけど、やっぱり10代の頃の苦労に比べたら、ずっと鈍感になったし、ずっと一般化されたしずっとマシになったと思う。

 

17歳の時にいわれた言葉「あなた今まで苦労してきたね。これからも苦労するぞ」と。思い出しては今でも悍ましいくらいの記憶が、ふとした拍子に思い出されることがある。時間がたっても決して風化することなく、西暦と日付までちゃんと覚えている。言われた言葉、受けた暴力。ただそこにいていいと言う感覚が、ただ自分が存在していいとされる場所が、いまだにはっきりとないこと。自信を持って自分は誰かから必要とされている人間だと言えないこと。あれから10年くらい経っても、またあの恐怖や消えていなくなりたいと強く思う感覚に引き戻されてしまうこと。最悪だ。気づけばきっと周りに誰もいなくなってしまうのかもしれない。

 

思い出すだけで生きていることがよくわからなくなるような、自分の主電源をパチンと切られるような、そんな破壊力のある記憶に、10代の自分はどう立ち向かい、生きてきたのか。思い出せなくて、知りたくなって、あの頃の日記を開いたら、50冊の日記と気持ちのノート、どれを開けてもえずくようなエピソードや感情の羅列である。ほんとよくもまぁ、こんなろくでもないことばかりにあって来たものだ、って、ほんとよく死ななかったなって思う。とっくに終わっていてもよかったのにな。

 

ただ昔はよく悔しくて泣いてた。もっと具体的な目の前の内容に。今は悲しくて泣く方がずっと多い。積み上がった時間全体をみた時の抽象化した現実に。

 

いつか報われる時が来る、いつか採算がとれる。そう信じていたけどここ数年で、そうじゃないのかもしれないな、とうっすら思い始めた。ただ忙しく生きることを辞めて、いろいろと棚卸したら、生きているうちにやらずに終わったら心残りなことなんてもうそんなにないのかもしれない気がした。

 

京都に住みたいって言うのは、その、死ぬまでにやっておきたいことリストのひとつだった。京都に行ったら人生変わってたかも、って思いながら生きる30代がなんとなく心重かった。結局場所は変われど根本的なところは変わらないかもしれない。それでもやっぱり、住んでいる街で人生変わってくるのは、確かなんだ。日本でもエリアを変えると国が違う。

 

一度開いてしまったパンドラは、また時間をかけて閉まるのを待つしかない。時折こうやって顔を出しては自己増殖する負の感情は、ここぞと言う時に誰かを傷つけたりもする。呪いの負のループである。いい加減成仏したい。

 

金沢に住んでいた時、嫌なことがあると尾山神社か金石の方の海岸に行っていた。自転車30分走らせたら海が見えた。やっぱり海の近くがよかったかなぁと思いつつも、京都の街は楽しみだ。バスで行く1日旅では諦めていたアクセスの悪い神社にいっぱい行きたい。

 

小さな希望や楽しみを数えて、自分なりに大事にできるものを大事にし、今できることをやるしかないんだ。だからそろそろまた絵を描かなきゃ、描かなきゃ、ずっと気持ちが焦る。