段々なんも言えなくなる

最近仲のいい友達ですら、気を遣ったり本当に話したいことが話せなかったりして、別れた後に後悔する。ああ言えなかったなぁ、って。今やすっかり、週に欠かさず聴くラジオ番組が8番組はあって、週に8時間ラジオを聞く様になってから、その話の上手な芸能界の人やアナウンサーにやたらと憧れを持つ様になって、本当に言いたいことや考えていることを話すというよりは、会話のキャッチボールがいかにうまくできるかの実践編みたいになってしまってるところがある。(前まではひとりで飲み屋に行くのでこれを練習してたけど)相手の立場や状況に対してネガティブなリアクションをしたり、角の立つ言い方をしたりは、昔からしない(自分がされて嫌だから)タイプだけど、以前よりも一層、なんというか相手に対しての配慮と労りとエールみたいな感じになってしまっては、なんかいかほど綺麗に返し奉らんと欲す、みたいなスタイルで後から結構自分に対して残念な気持ちになったりしている。ただ、ひとつ言えるのは、コロナも含めての「このご時世」では、もうただ生きてるだけでえらいみたいな感じだし、ほんと全体的に3年前よりもエネルギーがみんな低いというのか、ほんと元気で調子よく行っている人の方が稀な気がする。(そういうの、見てすらいられないくらいエネルギー値落ちてるのかな)仕事の他になにか活動してる人はもっとえらい。もうやってるだけで立派みたいな。きっともう少し上の世代からは、きっとレベルも活動量も低いなぁと思われているんだろう、何慣れあっているんだよって思われているんだろうな、と思う。そんなことはわかっている。そして少し下の世代のやり方の気持ち悪さも感じている。でも時代に適応してると言ったらそうなんだ。きっと。

 

本心以外のことも随分上手に話せる様になったし、ポジティブな解釈を努める様になった。自分の価値観だけじゃなくて、相手の価値観を認めるようになった。それをきちんと言語化して伝える。それでそんな気になる。何か発信している人に向かって面と向かって否定することができなくなった、自分もそれを喰らってしまったら、正直受け止めて頑張れるかどうかよくわからないから。(否、嘘でもいいから褒めて欲しい、って思っている時の方が多い。もう体調が)否定はいっぱい受けて育ってきた、体育会系な社会も、人間が浴びせられるような言葉ではない罵詈雑言も、いっぱい受けてきた。昔はそれに対して、悔しい、負けたくない、プライドが許せない、みたいな気持ちが湧いていたけれど、最近そういった気持ちにすらならなくなった。嫌だなぁって、配慮のない言葉にはなんだかとても「萎える」様になった。不快感を感じる。そして萎える。え、だって伝え方が9割というか、それがその歳になってもわからないのか...と。きちんと教えてくれ、きちんと言語で伝えてくれ。きちんとコミュニケーションをとってくれ。わかって欲しいだなんて甘えないで欲しい、解られるように伝えてくれ。

 


ここまで他人に対して配慮、配慮ってなっている人間も、きっと一般ではないんだなって思うし正解ではないんだと思うけど、なんだか癖になってしまった。本当の自分を出すのが怖いんじゃなくて、その返り討ちにあった時に自分のエネルギーが下げられても奮起できる程のエネルギーが残っていないんだ。仮に返り討ちに合わなかったとしても、周りだってそんな余裕のある状況ではないんだろうから、キツいこと言ったらそれはそれで後悔するんだろう。人と付き合ったりパートナーがいたりする人はもう少しそんな気にせず生きられるのかもしれないけど。結局落ち込んだ時だって苦しい時だって全部ひとりで解決しなくちゃならないし、友達に頼るのもまた申し訳ないなって気を遣うし、常時少ない残高で、まあまあ普通の精神状態で生きていくには、ある程度の保守と自衛の線を張っておかないと、生活が回らなくなる。また希死念慮の沼に堕ちるんだ。

 


きちんと向き合ってやるべきことに集中しなくちゃいけないんだろう。手ごたえや反応が悪くてもとにかくやり続けなければ何にもなれないんだろう、そう思うけど。

 


くどかんさんの番組で、絵描きの人の愚痴で、映画や音楽と同じ様に、絵もつまらないものにはつまらないって言って欲しいって言う愚痴があって、ほんとにそう思った。なぜだか絵だとわかる・わからないみたいな、感じになって、今回のはつまらなかった、よくなかったって感想がもらえることが少ない。(これもまた、陰では言われているのかもだけど)まぁ、今の時代は、いいと思えないものはミュートとかスルーとかだよね。いじめとかも減ってるんじゃないかな。いじめる体力すらないというか。

 


好きじゃないとかつまらないとか、そういうこともハッキリ言えた時代にもう少し戻りたいというか。人間関係を円滑に進める為の努力は、大人になる上で不可欠なものと思う反面、つまらない人間になったら作るものもつまらなくなっていくのだと思う。

 


難しいけどな、ひとりで悶々として、割とやっぱりストレスが作品になる。