晩年

昔のことを思い出す時間が増えた。過去を後悔することが増えた。なんでこうなっちゃったんだろうって思うことが増えた。目の前の日常になんだかこうやって過ぎていくのかぁって、退屈な映画を我慢して観るような感情になること、そんな日々の繰り返し。

 

転職活動は辛かった。転職のつなぎのバイトは、あんまりいい環境じゃなかった。でも、仕事が気楽だったってことと、飲食の仕事はやっぱり楽しかった。学生の時、同じ居酒屋のチェーン店でバイトしてたのに、その頃よりもずっと楽しかった。また会社員になって、1日10時間とかパソコンに向かう生活になると思うと憂鬱で仕方ない。憂鬱で憂鬱で仕方ない。飲食店でいろんな人の接客をし、いろんな事情で働いている人たちと働くのが楽しかった。

 

努力をして苦労をして、なんとか勝ちとった仕事なのに、どうしてこうも憂鬱なのか。たぶん何より、人間関係を一からまた培うことが億劫で仕方ないから。その人の次の発言が推測できるまで、またコミュニケーションをとるのが億劫で仕方ないから。行ったら頑張るんだけど。なんだかんだ仕事はできるタイプだけど。なんだかなぁもう少しダラダラ東京にいてもよかった気がする。コロナになってからの世の中は、時間の流れがおかしすぎて、いろんなものがまだ止まっているような気がする。或いは擦っては消え、擦っては消えるようなしけたマッチみたいな。たまにちゃんと火がついて、いい感じってなるんだけど、それが続かないというか。都心に出ればもっとスピード感はあるんだけど、継続した人間関係が続かなくなってる。自分から会いに行かなくなったら、声をかけなくなったら、もう会えなくなる人間ってなんなんだろう、って再三思う。会おうよ、話そうよって言って3回誘って全部予定が合わなくてリスケしてくれない友達はもう友達じゃないんじゃないか、と思う。(少なからず相手にとって自分との時間ってそれくらいの優先順位。なんだなってさ)とか言う話を誰かにすると、どうやらみんな仕事にも関係ない、恋人でもない、自分の活動に関わっていない友達に対しての付き合い方ってどうもそうなっていくらしい。定期的に会える友達には定期的に会いたくて、その時話てた話も自分の人生のひとつみたいに数えて、またその続きが聞きたいって思ってる自分みたいな人ってどうも変わってるのかもしれない。生涯に自分と関わる人間なんてたかが知れてるのだから、狭くでも広くでも深く興味のある人にはやっぱり会って話がしたい。自分が好きな人に関しては結構頑張るけど、段々それも頑張れなくなってきて、というか虚無、そんな誘っても誘っても断られるのって、ひとりよがりだし、自分の存在なんてどうでもいい人にエネルギーを使うのも疲れてくる。段々と。必要とされていないなーと思うと、結局仕事するしかなくなって、あるいは自分ひとりでできる活動に精を出すしかなくなって、ずっと仕事とバイトと活動を繰り返す。とはいえ、わかるけど。みんなそれぞれ状況があるから、ついたり離れたりはわかるんだけどね。長年連絡をとっていなくても、つい昨日のことのように仲良く話せる友達が本当の友達なんだって。

 

恋愛はできなくなった。大好きだった人に捨てられたら1年半分記憶喪失になったから、それを経たらそこまでのリスクを負って、恋愛したいと思えなくなった。あんま好きじゃない人と付き合うって言うのは、ほとんどしたことが無いけど、傷つかない恋愛とかせめても記憶喪失にならない恋愛ってそういうことなんだろうか。誰かと一緒に生きている時間の方がすき、人間もやっぱ所詮動物でひとりじゃ生きていかれないんだろう。どこかに安心して帰って来られる場所が欲しい。自分を受け入れてくれる人や理解しようとしてくれる人、側にいてくれる人が欲しい。だってひとりで生きている時間よりたぶんずっと幸せだった。要らんこと考えなくていいし、認めてくれる人がいるっていうのは、自分が生きていていいみたいな感覚になるんだ。でも誰かといる自分をしすぎると自分を見失う。自分と向き合う時間が経って、思考よりも反応が多くなるから。いろいろ考えなくなる。でもたぶん、人間その方が楽なんだって思う。楽。だんだん楽を求めるようになる。でもそれを続けたらきっと、何も書けなくなるし描けなくなる。創作に孤独が必要なのは絶対だと思う。

 

今年も辛いことはいっぱいあって、ずっと希死念慮がすごかった。希死念慮。ふと気を抜くとそれに襲われる。生きていることも生きていくこともよくわからなくなる。

 

死ぬまでにやりたいことリストがもう気づいたらそんなにたくさんない事に気づく。先に書いた昔のことをよく思い出したり、後悔したりするってたぶんもっと晩年のステージと思うんだけど、どうも暗いのだ。

 

暗いけど、割と社会生活は明るく生きているので、その本心とのギャップにたまに自分でもびっくりするくらい疲れているんだ。大人になるとは理性的に生きられるようになること。それでも、蓋をして繕って、正解を演じて、大喜利みたいにスマートな応答を努める人生がこれからもずっと続くと思うと、本当にもういつ終わりでもよいと感じるんだ。

 

家族はすきじゃない。たぶん兄くらいしか家族って感じはしていない。そんな家族と過ごさなきゃいけない年末年始は憂鬱。協調性を発揮しないとまたどこか折に触れて嫌な目に合う。いろんな手土産を下げた人たちが足速に歩く駅前を見ていると、どうも気が滅入る。いつからか、大学生くらいからか年の瀬がすごい苦手になった。中途半端なバイト先は馬鹿みたいに忙しくて、否応なく感じる年末感が。

 

来年はなんか、生きていてよかったなって思える瞬間があるといいんだ。今年はよく頑張ったし今年もやっぱり辛かった。どこまで自分を成長させれば、誰かと生きても捨てられたり裏切られないで済む人生になるんだろうか。あるいはこの先もずっとひとりで生きるんだろうか。そういう為にちゃんと稼げる仕事に就いたんだけどね。なんかほんとさ。